第一章、閉幕します

「ブログ開設から4年経ちました」というお知らせがWordPressから届きました。

もう細かいことは覚えていませんが、マイクロソフト(だったと思う)絡みのブログサイトで始めた「AQUA FEEL」でしたが、サービス終了にともなってWordPressに移設したのがスタートでした。

当時はオンラインエディターの使い勝手が悪く、オフラインエディターであるWindows Live Writerを使いたいがためというのも理由でした。ところが、最近はWindows Live Writerよりも使いやすいオンラインエディターを持つブログサービスが多くなりました。

WordPress自体も改変・改良を繰り返していますが、それが自分にはかえって使いにくいという印象になってしまいました。

4年を過ごしたというお知らせが届き、自分としては愛着があります。が、最近は私が期待しない検索ワードでの閲覧が圧倒的に多くなってしまいました。(もとはといえば、そんな検索ワードに引っ掛かるような記事を書いた自分が悪いんですけど…)

アクセス数が伸びていくのは嬉しいものですが、意図せぬ形でそうなったわけで…なんだか違和感ばかりを感じます。海外からのアクセスがそれなりにあるのを目にしながら、いったい何を目的に訪問してくれているんだろうと、すご~く不思議でもあります。

プライベートでも大きな変化がありましたし、ちょうど4年という区切りもきましたし、このブログはこのまま冬眠させようと思います。愛犬との大切な日々の記録も多いので、削除はせずに「冬眠」で…。

すでに違うブログサービスでAQUA FEELの第二章とも言うべきブログをスタートしました。そちらは気取らず飾らずゆる~い感じで、アクアと過ごす日々のことや、大切な思い出を中心に書きためていこうと考えています。

ちょっと名残惜しいですが、本格的な冬の到来をまえに、AQUA FEELの第一章は閉幕といたします。

やっぱり来た、4月のドカ雪

ドカ雪

何年ぶりかで車の掘り起こし作業をする羽目に…。天気予報じゃ「大雪」なんて言ってなかったのに、日中やむことなく降り続いた雪はとうとう膝を超える高さに。終業時間になってから急の仕事が飛び込んできて帰れそうもないなか、「他部署の職員が残っている間に車を出さないと…。万が一スタックしたら帰れないぞ…」と心配に。

果敢にチャレンジしたのですが、やはり狭い駐車場では思うようにはいくはずもなく、敢えなくスタックしました。他部署の職員にヘルプをお願いしてなんとか脱出。一息ついてふと見ると手には血の跡…どこか分かりませんが負傷したみたいです。負傷を負いながらその後も夜遅くまでの仕事は続いたのでした…(泣けるぜ)。

暗い未来

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「借金返済のために取れるところからとにかく分捕ってこい!」という感じなってきた日本。復興増税は目的がハッキリしているから…と思っていたが、実際には使途不明金になっている感じ。なんだかもう騙す方も騙される方も麻痺しちゃって「当たり前」になってるのか? 消費税増税やら介護保険料値上げ、医療費負担増、高額医療費負担増、もはや既定路線にされてしまったガソリン暫定税…もう数えればきりがないほど「お上に差し出す年貢」が増え続けている。1つ2つならまだしも、次から次へと「召し上げる方法」が作られていく…加えて公共料金値上げやら日用品値上げやら…。

そういうことに気づいてしまうと「景気は上昇しているっていうから、ウチも財布の紐を弛めても良いかな」なんて思えない。大金持ちには痛くも痒くもない話だろうが、老後のためにと蓄えを続けているプチ金持ちには死活問題だ。年貢を収めるのに疲れてしまうと「働くだけ損だから、非生産者になって国に面倒を見てもらおう」と不埒な考えをする人間が増えてきそうだ。もっと賢い人間はこの国を捨てて海の向こうへ飛び出していくだろう。

世の中は2020年に開催が決まった東京五輪で浮かれているけれど、現実を見れば被災地復興は遅々としているし、手懐けられもしない原子力という怪物を再び解き放とうとしたり…なにが「お・も・て・な・し」かと思えてくる。「金のある人間は何をしても良い」という隣国の思考回路をなじる前に、このへんで自分たちの足元をシッカリ見なおさないといけないんじゃないだろうか。

老後のために「今を生きること」の楽しみをジーっと我慢しなければいけない社会って、何かがオカシイ…。そう思いつつも、やっぱり老後のために少しずつ貯蓄せざるを得ない日々が続く。いったいなんのために生きているんだろうな。

「国民のため」とか「未来の世代のため」とか言っている政治家の言を聞くと、そこに自分達の権益だけは守ろうとするあざとさが透けて見える。未来のことは未来を生きる人達に任せれば良くないか? 今が崩壊してしまえば未来など来ないかもしれない…。「次の世代のために…」という耳障りの良い言葉の影に隠れているものを見つけなくて良いのだろうか…。少なくとも今の自分にとっては「自分が生きていく方法」すら国の意向に左右されて不安しかないのに、未来がどうのこうの言われても知ったこっちゃないという風に思えるところもある。「今」をなんとかしないで「未来」を語るなんて、いったいどんな意味があるんだろう。「次の世代のために」とか「孫子のために」という理由で投票行動を行った国民はどのくらいいるんだろう…。少なくとも私はそういう言葉を吐く政治家に碌な奴はいないと思っている。